・道新カルチャーplus 沼山良明の「されど音楽」vol.9



 ライブのチラシを配りに深夜のススキノを回っていたとき、ジャズバー・ジェリコで一人物憂げに呑んでいる青年が気になったのは85年の冬。彼こそが後に海外でも活躍する即興演奏家となったピアニスト宝示戸(ほうじと)亮二だった。「大学を卒業し就職したが、残業でライブ活動が思うようにできなくなり会社を辞めたんです」という。
 ちょうどNYのサックス奏者ジョン・ゾーンのライブが近かったのでチラシを渡すと、ジョンやイースタシア・オーケストラなど、毎回NMAのライブに来るようになり、あるとき「音楽って形にとらわれず自由にやっていいんですね!」と、何かを悟ったように目を輝かせて言った。
 5年後の90年3月、ギター&ターンテーブル奏者大友良英の札幌初ライブ終演後「一緒にやってみないか?」と勧め共演したところ、大友良英が大いに気に入り「宝示戸さんが必ず東京で演奏する機会を作ります」と約束。同年秋には大友良英、サックスの梅津和時らと、日本のジャズの拠点「新宿ピットイン」で共演を果たすことになった。
 それからはNMAが海外から招く個性溢れる強者即興演奏家たちとも共演するようになった。それにはさらに表現の幅を広げる必要に迫られ、ピアノの内部にトイ(おもちゃ)や発泡スチロール、空き缶などの小物を持ち込んで生じさせるノイズ音と持ち前の叙情性で、世界で稀に見る独創的な奏法を見いだした。そんな彼に注目した評論家副島輝人さんの推薦を契機に、毎年ヨーロッパやロシアのフェスティバルやツアーに出かけ喝采を浴びている。
 宝示戸亮二は「札幌に住んでいても音楽はできる」と、少ない演奏機会に全身全霊をかけている。

  (NMA音楽プロデューサー)