・道新カルチャーplus 沼山良明の「されど音楽」vol.11



 僕の音楽観に多大な影響を与えてくれた評論家といえば、このコラム1回目でご紹介した故副島輝人さんだが、もう一人忘れてならないのが「ジャズ・アヴァンギャルド」など多くの著書を残された清水俊彦先生だ。先生は60年代から80年代にかけて、フリージャズや即興音楽などの新しい音楽を次々と紹介し、時には鋭くまた詩的に批評されてきた。
 清水先生と初めてお会いしたのは97年。道新ホールで開催した「第2回ナウミュージック・フェスティバル」をぜひ見たいと言われ、すでに病弱だった先生を、加古隆さんのマネジャー竹川郁子さんがお連れした時だった。それから度々お手紙をいただいたが、数年後には年賀状さえ途絶えてしまい、後にペンを持つことすらできなくなったと伝え聞いた。
 2005年1月、新宿ピットインに「ONJO(大友良英ニュージャズ・オーケストラ)」を聴きに行ったとき、親友でプロデューサーの野田っち(野田茂則)が、「清水先生がどうしても聴きたい、と言っているので迎えに行ってくる」とお連れした。超満員のため椅子席は半分ほどでその後ろは立ち見席、酸欠状態で倒れる人もいたほど。
 清水先生には前半は野田っちが付き添い後半は僕が交代した。演奏はもちろん先生をうならせるほどの好演だった。大友くんの恩師・故高柳昌行さんが「俺だってこういう音楽をやりたかったんだよ!」という声がその辺りから聞こえそうですね。などと会話しながら、僕にとって夢のような時間を過ごした。その後「帰りはいつもこの店で餃子を食べるんだよ」と言われて数人で近くのお店へ。片手にビール、もう一方の手でたばこを美味しそうに吸いながら音楽を語る姿を最後に、2年半後の07年5月に永眠された。

(NMA音楽プロデューサー)