・宝示戸亮二とNMAの物語

NMA2010-09-22



友人の染色家「長谷川雅志個展」@ギャラリーたぴお(札幌市北2西2)が25日まで開催中です。
投げ銭ライブ(19:00〜)で明日23日は瀬尾高志コントラバスソロ。ぜひぜひ!!


9月24日はいよいよ「宝示戸亮二×リューダス・モツクーナス CD 発売記念 JAPAN TOUR 2010」です。
ご期待にまちがいなく100万倍お応えします!!
(関連記事=前の日記をどうぞ)

宝示戸亮二 ;piano
リューダス・モツクーナス;sax, clarinet


9/24 (金) @ 札幌 くう
札幌市中央区南1西20 LOGビルB1
19:30 open/20:00start
料金: 前売¥3,000/当日¥3,500 (要ドリンクオーダー)
予約: NMA TEL: 011-742-3458 E-mail: nma-1983@mbr.nifty.com
   くう TEL: 011-616-7713 E-mail: info@sapporo-coo.com

宝示戸亮二サイト http://www5.famille.ne.jp/~kanji/index.html
NMA サイト http://homepage2.nifty.com/nma/

21日@新宿ピットインの様子がombaさん(音楽評論家)のミクシイ日記に書かれています。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1587712942&owner_id=1141377


ここ10年くらいを振り返ってみると、NMAライブに来てくれるお客さんも部分的には世代交代が進んでおり、宝示戸亮二をまだ聴いたことがない特に若い音楽ファンの皆さんのために、なぜ宝示戸亮二が「孤高のピアニスト」なのかを、宝示戸亮二とNMA(私)との出会いから現在までを書いてみます。興味を持っていただけたならぜひライブに足を運んでください。


『孤高のピアニスト、宝示戸亮二』


宝示戸亮二と初めて出会ったのは忘れもしない1985年の冬だった。ライブのフライヤー配布に夜のススキノを回り、夜中の2時ころジェリコに。店にはマスター渋谷さんとカウンターに一人だけ若者が・・・それが宝示戸亮二だった。彼は北大ジャズ研出身で、卒業後就職をしたが音楽活動が思うようにできず退社し、これからどう生きるべきか悩んでいると打ち明けてくれた。たぶん2時間ほど音楽や生き方について話をし、3月に予定していた「ジョン・ゾーン’s Games Among Friends」ライブに来てみるよう誘って別れた。彼はジョンのライブと、数ヶ月後の「藤川義明イースタシア・オーケストラ」を見て「ジャズって何をやっても自由なんですねっ!」と完全に吹っ切れたように言ったのが変身した瞬間だったと思う。それから彼はソロピアノの他に、7、8人くらいのバンドを編成し(ほうじとばんど)、変則ビートを多用した曲や過激な集団即興演奏でますます異才を放つようになった。
宝示戸亮二に大きな転機が訪れたのはそれから5年後の1990年3月。札幌初の大友良英ソロライブのアンコールで共演した後、大友良英は「すばらしい!東京で演奏する機会を必ず作ります」と約束。

その数ヶ月後、新宿ピットインで「梅津和時+PLAYER PIANO+宝示戸亮二」が実現、メンバーは梅津和時 (as,ss,bcl) PLAYER PIANO 《加藤英樹 (e-b,machine,vo)、大友良英 (turn-tables,g,CD) 、MAKIO (ds,stick)》 宝示戸亮二 (p,toys) で爆音の中東京デビューを果たし、翌91年3月の札幌凱旋ライブは二夜連続sold-out!。

もう一つ、宝示戸亮二にとって大きな転機だったのは、1990年10月の「デビット・モス Japantour’90」
DAVID MOSS (perc,voice=NY) 大友良英 (turn-tables,g,CD,tape)
広瀬淳二 (selfmade-instruments) 宝示戸亮二 (p)だった。

彼は「ノーマルなピアノではモスのパワーに対抗できない」 と言って、発泡スチロールや空き缶、トイなど種々雑多な物を用いた内部奏法に大胆に方向転換し、今日の演奏スタイルの原点となって、その後もNMAが招く国内外の即興アーティストたちと互角にわたりあうようになった。
1991年7月、ロシアから招いた「アルハンゲリスク七重奏団」の打ち上げで弾いた宝示戸亮二の演奏が、招聘したジャズ評論家・副島輝人氏の目にとまり、2年後ロシア「ノボシビルスク・ジャズウィーク」に推薦。以後毎年のように、ロシア、ヨーロッパをツアーしたり、東京、関西などでも演奏することになる。また、1986年から1997年までNMAが開催した「NOW MUSIC Festival SAPPORO」全6回に出演するなど、NMAの活動とは切っても切れないアーティストとして活躍している。
前述の他に共演したアーティストは、故トム・コラ(cello)、サム・ベネット(e-perc,samples)、ジョン・ローズ (vln,samples)、ネット・ローゼンバーグ(as,b-cl)、カンテーファン(as)、カール・ストーン(computer)、ジョエル・レアンドル(b)、内橋和久(g,effects)、斉藤徹 (cb)、巻上公一(voice,theremin,口琴)、高良久美子(perc)、山口とも(perc)、瀬尾高(cb) など多数。


[97.10.6th.NOW MUSIC Fes、島田雅彦大友良英「ミイラになるまで」]

また、1996年に発足した即興演奏の「NOW MUSIC Workshop」ではディレクターに招いた内橋和久の後を継いで1999年までディレクターとして貢献し、当時の参加者たち数人が今も東京や札幌で活躍している。
1990年頃、一度は東京移住を決めた宝示戸亮二だったが、グランドピアノを想定した彼の演奏スタイルでは、東京の住宅事情では練習ができないことから「自分のやりたい音楽は東京でなくてもできる」といい移住を断念し、学習塾の先生を生業としながら独自の活動を続けている。それだけにライブではその信念を貫くかのように最高のテンションで全霊を傾注し、独自の演奏方法によってピアノの響きの可能性に挑み続け、その特異なアプローチと抒情的な旋律が相まって、国内外で多くの聴衆に感動を与えている。まさに「孤高のピアニスト」と言える宝示戸亮二。札幌では久々二年ぶり稀少なライブと言えます。


長文最後までお読みいただきありがとうございました。

24日@くう ご来場をお待ちしております。