・NMA おかげさまにて30周年!!

ジャズが60%、クラシックが20%、他の20%がロック、フォーク、歌謡曲、演歌、etc…ほど?という音楽ファン歴20年で当時30歳代後半だった1983年に、NMA(ナウミュージックアーツ)の活動が始まりました。


その数年前から、先鋭的な音楽に強い興味を抱き始めたころに、評論家の副島輝人さんや、当時のジャズ喫茶「act:」(今はFB友達坂井さん)などの影響の中でNMAライブをスタート。同時に副島さんの薦めもあって、ドイツで開催されている先鋭的な音楽が集結する「メールスニュージャズフェスティバル1983」を観に渡欧。そのステージでは日本の音楽情報には見あたらない衝撃的なアーティストたちが続々紹介され、「なぜこれほど凄い音楽が日本で紹介されないのだろうか?」という疑問と同時に、「この現実を知った以上は、自分の力が及ぶかぎり、この先鋭的なシーンを札幌に紹介したい。」と決意し、生業のピアノ調律で得た収入を注ぎ込みながら、6回のナウミュージックフェスティバルを含め約160本のライブを企画、200近いグループを札幌に紹介、時には道内各拠点にも紹介連携しつつ30年を数えるに至りました。


その長い間には数々の忘れられない出来事や出会いがありました。なかでも1986年に第1回ナウミュージックフェス(大谷会館ホール)で、たまたまドイツから来日中のコントラバス奏者ペーター・コヴァルトが、ぜひ出演させてほしいと言って来札した際、大赤字確定の上、後片付けに手間取り最後に駆けつけた打ち上げの席でお礼を渡そうとすると「沼山さん、大変だったんでしょう」と言って受け取らなかった彼の優しさに人目を忍びつつも号泣したことや、1997年第6回ナウミュージックフェス(芸術の森アリーナ)開催前に、通ると予想されて申請した公的助成金が通らなく困窮していた時に、友人から「知人がお前にカンパしたいと言っている」と電話があり、神にもすがる思いで東京へ飛んで受け取った時。さらに97年のフェスでオペレーターとして来ていただいた GOK SOUND の近藤祥昭さんが翌97年のフェスに「札幌の業者に払う予算で全部やりますよ」と言って東京からPA機材一式をトラックで運んで音響を引き受けてくれたことなど、生涯忘れることはできません。また、NHKの朝ドラ「あまちゃん」の音楽でも話題の大友良英氏とは、彼が修行中の1983年に知り合い、まだ無名だった1990年に札幌で初のソロライブを企画して以来、最も期待できるミュージシャンのひとりと確信して年1〜2回程度のライブを続けてきましたが、他にもお世話になった国内外のミュージシャンや関係者の方々も数えきれません。感謝!!


紆余曲折を経ながらも30年間続けてきたこの活動も、2011年に開催された「札幌ビエンナーレ・プレ企画」で音楽部門の企画に。また、ACF(札幌芸術・文化フォーラム)で ACF ART SALON の担当としても、NMAライブと連携して、カールステン・ニコライや大友良英のレクチャーを企画するなど、目標の一つである芸術全般とのコラボレーションや交流の機会も増えています。(オフレコですが…2014年7月〜9月、ゲストディレクターに坂本龍一氏を迎えて開催の「札幌国際芸術祭2014」にも若干関わらせていただくことになりそうです。)


人生終盤にさしかかった今、残された時間は如何ほどかはわかりませんが、これまでたくさんの方々と、1988年に結婚した妻にも支えられて今日があることに心から感謝し、大好きな札幌で残りの人生とNMA活動をアクティブに有意義に展開し、楽しさをみんなで共有したいと改めて思う今日です。


2013年6月 NMA 沼山良明