・道新カルチャーplus 沼山良明の「されど音楽」vol.2


 国内外の先鋭的な音楽を紹介するNMA活動の原点となるメールス・ニュージャズ・フェスティバルを見に行ったのは83年5月だった。
 メールス市はドイツ北西部のルール工業地帯に位置する人口10万人の小さな美しい町。その郊外に広がる広大な公園内には、キャンピングカーや露店がひしめき、フェスティバルのムードを盛り上げている。その一角に設けられた巨大なサーカステントが会場だ。
 4日間のフェスティバルは、世界中から20グループほどが出演。午後2時に始まり終演は深夜0時を回ることもあるので体力も要する。
 いずれも独創的または実験的な音楽ばかりで、当時の日本の雑誌などに全く情報のなかったジョン・ゾーンら、世界最先端のグループやミュージシャンが次々とアナウンスされると、8千人の聴衆から大歓声があがるのだ!なぜだ!その謎は演奏が始まると納得させられた。日本から出場した「ドクトル梅津バンド」の熱演には2度のアンコールにも歓声が鳴りやまず瞼が潤んできた。
 フェスティバルの翌日、プロデューサーのブーカルトさん、評論家の副島輝人さんと一緒に、資金援助している市の窓口役である文化局長の自宅に招待された。彼はベートーベンのレコードをかけながら「ブーカルトを信頼しているので、市はカネを出すが口は出さない」と言う。音楽の伝統ある国ドイツの小都市から、未来へ向けて新しい音楽を発信しようという姿勢に感銘を受けた。
 この刺激的で貴重な体験は、同年に発足させたNMAの活動で、「札幌に新しい音楽の魅力を伝え発信したい!」というエネルギー源となって、30年を経た今も息づいている。
   (NMA音楽プロデューサー)